2009年9月29日 星期二

0929祝島漁民阻擋核電工程 展開長期海上抗爭






0929日本反核運動現場觀察:
祝島漁民阻擋核電工程 展開長期海上抗爭

祝島原本就在我這次的旅行規劃中,時間大約在十月下旬,但從9月10日開始,中國電力公司開始進行上關核電廠預定地的填海工程,祝島漁民也展開海上的圍堵抗爭,曾與我一起赴祝島訪問的朋友JO通知我這個消息,當時我人還在九洲,得知此事後,決定改變既定行程,搭車北返,9月13日,與我一樣心急想前往聲援的JO開了五個小時的車,跟我一起趕赴現場,但令人啼笑皆非的是當天是週日,電力公司休假,我們竟然跑了空。

我只好照著既定行程繼續旅行,一時疏忽沒有上網看訊息,昨天下午才得知抗爭不但沒有結束,甚至越來越激烈,當地漁民與NGO聲援者已經持續抗議了十多天,讓電力公司至今無法施工,兩邊每天在海上喊話作戰,看誰能撐到最後。懊悔不已的我,決定不再錯過了,當下立即趕過去參加。

說是立馬趕去,不過真的很遠,七點半從東京出發,十點多才到大阪,只好隔天一早再繼續坐近三個小時的火車到柳井,再等一個小時一班的公車到平生町,最後再步行不知多久,才能到那個偏僻的田名碼頭,路程不熟的我,身上帶著地圖,希望自己能順利抵達。

今天下午3:50我終於趕到抗爭現場,親眼見證山口縣祝島居民的第十六次成功阻擋。
遠眺田名碼頭的海面上,有著八艘漁船擋在岸邊,船上都插著[反對上關原發]的旗子,岸上則是許多工程吊車與機械,電力公司龐大的黑色工程船則停在一旁,這幾天漁民都從清晨六點多,就從祝島駕船過來守住海域,下午此時也該是電力公司收工放棄的時候,我正好拍到漁船紛紛打道回航的畫面,看來這是第十六次成功阻擋了工程。

隔了半個鐘頭,在岸上的聲援人士以及記者也開始收拾器材預備回家,但緊急情況突然發生,工程船竟然開始移動,看來是要趁漁民不在的時候動工,一時間我身週的記者與岸上的抗議者開始打手機,將消息傳播出去,才過一會兒,我簡直不敢相信我的眼睛,漁船竟又快速地回到碼頭前,原來他們根本沒真正放心離開,只是停在附近,以防電力公司隨時都有異動。我這時才知道他們多麼辛苦,幾乎是24小時地輪班監視,祝島上的農漁工作都得暫停,正是為了這場與生存攸關的抗爭。
左方是電力公司的黑色工作船,右方是祝島的漁船及聲援的獨木舟隊

親臨現場的感覺真的不同,眼見廣闊的海面上,祝島漁民以小搏大的氣勢,令人感動。而這次抗爭最特別的是,有一群熱愛海洋與運動的獨木舟愛好者,每天陪同漁民一同守護海域,這群獨木舟勇士,一整天泡在海水裡,以肉身對抗電力公司的工程船,真是一群英雄! 這也是第一次有外地人直接參與祝島的第一線抗爭,證明了不只有當地人才反對,有著不同的運動意義。

電力公司的工程船看到漁民們的回防速度,似乎也沒轍了,今天的抗爭才算是真正結束。我遇到了曾經訪問過的祝島漁民清水先生,他笑著說晚上將會在此過夜,隨時預防半夜有事,看來這真是一場毅力與意志力的長期抗戰!
明天我將會持續到現場聲援與拍攝,現場的人得知我從台灣來,都十分親切,一位划獨木舟的年輕人,表示願意載我到海面上近距離拍攝,真是太好運了,希望明天不要掉進水裡。

祝島反核運動簡介:

瀨戶內海中一個不到600人的小島,一天只有三班船的偏遠漁村,卻能夠堅持反對核電開發27年,成為日本反核運動的聖地,這種強烈的決心與勇氣,到底是從何而來?

日本山口縣熊毛郡上關町的祝島,原只是瀨戶內海中一個寧靜的小島,住著與世無爭的純樸漁民,1982年中國電力公司開始進行上關核電廠的計畫,核電廠預定地就設在祝島的對岸,直線距離只有3.5km,從此核電對於漁場、生態以及生活的威脅,成為居民無法擺脫的噩夢。

上關核電廠的計畫長年一直處於爭議中,山口縣民有贊成也有反對的意見,然而受核電廠影響最大,也是唯一每天面對著核電廠的祝島,一直有九成以上的居民強烈反對,卻不被當局重視,一直認為只是少數人的抗爭,核電對於周遭自然生態的重大影響,也一直有著山口縣的自然保育團體的關心,出版了調查報告表達反對。

2005年到2009年,電力公司進行海域調查工作時,受到祝島漁民的激烈圍船抗議,2009年4月,山口縣政府默許電力公司偷跑,在反應爐設置許可尚未通過前,先行開發保預定地的周邊森林,祝島居民及民間團體發起全國聯署運動,要求電廠中止開發。

2009年9月,電力公司進行預定地的填海工程,祝島漁民駕船至田名碼頭,圍堵工程船的作業,從9月10日至29日,已持續抗爭十多天,抗爭仍在持續......

更多資訊閱讀:




日文翻譯刊登於非核亞洲論壇通信No.10009年10月20日発行)

— 9.29日本原発反対運動ルポ —:

     祝島住民の阻止行動、長期戦へ突入


チェ・スーシン


                      (撮影:チェ・スーシン、以下も)

 私は日本の社会運動の現場を見学するため、8月末から約2ヶ月日本に滞在しています。何回か訪ねたことのある祝島は元々スケジュールに入っていました。 当初は10月下旬に行 予定でしたが、9月10日、中国電力が突然埋め立て工事に着手しようとし、祝島の住民および各地の反対派が田名埠頭に集まり阻止行 動を行っています。この情報が入ったので、私は予定を変更し、山口県へ向かう準備をしました。9月13日の日曜日、大阪の友人と車で5時間かけてようやく 現場に着きましたが、あいにく工事も阻止行動もお休みでした。戦闘モードに入った私は苦笑いしかできなかったです。

 その後私は元のスケジュールに戻りましたが、昨日(9/28)久々にインターネットにつないだら、阻止行動は今も続いているということがわかりました。 体力と根性比べの長期戦になってしまっています。阻止行動に参加できなくて悔しかった私は、今度こそ逃がすわけには行きません。一人で東京から新幹線、 ローカル電車、柳井から一時間に一本しかないバスに揺れて、午後3時50分、やっと田名埠頭に着きました。阻止行動の16日目です。

 田名埠頭の海上には、8隻の祝島漁船が「上関原発反対」の旗を掲げ、ブイの前に止まり進路を塞げています。バケモノのような大きなクレーン台船は少し離 れたところに止まり、陸上にはブイのほかに、多くのクレーン車や機械も置かれていました。反対派は毎朝6時にここに来ているそうです。先ほど中電は工事中 止を宣言し、それぞれ帰る準備をしているところでした。今日は阻止行動16回目の成功らしいです。

 中止宣言の30分後、陸上で応援している反対派や報道陣も帰る仕度を始めました。今日はこれで終わりだろうと思いきや、なんと作業船がいきなり動き出し ました。この隙を見て作業を始めるつもりか? 周りの人はすぐさま携帯で情報を伝えました。瞬く間に、いったん引き返した漁船は迅速に埠頭に戻りました。なるほど中止宣言の後、漁船は安心して帰ったわ けではないです。近くの海域で待機していただけでした。話を聞くと、反対派はほとんど24時間体制で海の動きを監視しています。阻止行動のために仕事など ろくにできません。この長期戦がいかに住民に負担をかけているかを思うと、心が痛くなります。



 阻止行動の現場は緊迫感が満ち溢れていました。広い海で小さい漁船とカヤックが巨大な作業船の前に立ち向かっているのを見ると、感動を覚えます。とくに 今回の阻止行動は今までと違って、祝島住民のほかにも、カヤック隊を中心としたマリンスポーツのプレーヤー達が応援しに来ました。若い彼らは一日中海に 浸って、肉体で中電の作業船と対抗しています。まさに本物のヒーローです! 今回は始めて祝島以外の人が第一線の阻止行動に参加しています。上関原発に反対するのは、決して祝島の住民たちだけではありません。カヤック隊の強い意志 によって、このことを世間にアピールできたと思います。

 中電は反対派の高い機動力を見て、今回は本当にあきらめたようです。今日の阻止行動はやっと本当に終わりました。祝島の清水さんは私に微笑みながら、今夜はここに泊まると言いました。この戦いは本当に気力と忍耐力が必要です。

 私は明日もここで声援と撮影を行います。現場の方々は私が台湾からやってきたと知り、よく親切にしてくださいました。カヤック隊の若者一人が、私をカヤックに乗せてくれると言いました。本当にラッキーです。海に落ちないように気をつけます。(9月29日記)



* チェ・スーシンさんの29日のブログ http://souhim.blogspot.com/
を、チン・ジョンリンさんが訳してくれました。

9月29日から3日間、田名埠頭を訪れたチェ・スーシンさんは、映画「こんにちは貢寮」(日本が輸出する台湾第四原発建設に反対する地元貢寮の人々のたたかいのドキュメンタリー)の監督。

06年に来日し、大阪、東京、新潟、柏崎、北九州・下関・祝島・広島で「こんにちは貢寮」上映と現地報告を聞く集いを開催。圧巻は、なんといっても祝島で した。公民館に集まってくれた約100名(過半数は女性)の人々は、映画の中の、何十隻もの漁船を繰り出すシーンや、住民が電力と言い争うシーン、役人に 抗議するシーンなどを見て、どよめき、「そう、そう」「おんなじじゃね」と。同じ20数年間を、同じように苦労して闘ってきたのです。

その後、祝島を数度訪れ、滞在し、人々のくらしを撮影、映画制作中。

スーシンさんは10.3 NO NUKES FESTA分科会でもスピーチしました
映画[こんにちは貢寮]プロモーションページ(日本語) http://www.SelectOurFuture.org/gongliao/

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